徳川吉宗の父母・妻・子供・墓の評価-徳川15代家系図

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね)の評価-徳川15代家系図

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね).jpg

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね)


徳川 吉宗(とくがわ よしむね)は、江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。

徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。
初代将軍・徳川家康は曾祖父に当たる。父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め、成果を挙げた。
第7代将軍・徳川家継の死により秀忠の血をひく徳川将軍家の男系男子が途絶えると、6代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身では初の養子として宗家を相続し、江戸幕府の第8代将軍に就任した。
紀州藩主時代の藩政を幕政に反映させ、将軍家宣時代の正徳の治を改める幕政改革を実施。
幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。
徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。

この幕府改革で破綻しかけていた財政の復興などをしたことから中興の祖と呼ばれる。年貢率を引き上げるなど農民を苦しめた上で成り立った改革だったため、百姓一揆の頻発を招いた。また、庶民にも倹約を強いたため、景気は悪化し、文化は停滞した。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


徳川吉宗 父母

父:徳川光貞
  徳川 光貞は、紀州藩の第2代藩主。
  初代藩主・徳川頼宣の長男で、徳川家康の孫。
  正室は伏見宮貞清親王の娘・安宮照子女王。
  子に5代藩主から8代将軍となった吉宗の他、綱教・頼職などがいる。
  極位極官は従二位権大納言。贈従一位。
   3代将軍徳川家光や、他の徳川御三家の第2代当主とは従兄弟関係にある。

母:浄円院
  浄円院は、紀州藩主徳川光貞の側室で、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の生母。
  俗名は由利、紋。
  紀州藩士巨勢利清の娘として生まれたとされるが、百姓の娘であるという説などが多数ある。


徳川吉宗 妻・子供


正室:真宮理子女王
側室:深徳院、深心院、本徳院、覚樹院、おさめ、お咲、他


家重、宗武、源三、宗尹、芳姫
養女:竹姫、利根姫
猶子:尊胤入道親王


徳川吉宗 墓

東叡山寛永寺円頓院

東叡山寛永寺円頓院.JPG













7代将軍徳川家継(とくがわ いえつぐ)

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初代将軍徳川家康(とくがわ いえやす)

2代将軍徳川秀忠(とくがわ ひでただ)

3代将軍徳川家光(とくがわ いえみつ)

4代将軍徳川家綱(とくがわ いえつな)

5代将軍徳川綱吉(とくがわ つなよし)

6代将軍徳川家宣(とくがわ いえのぶ)

7代将軍徳川家継(とくがわ いえつぐ)

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね)

9代将軍徳川家重(とくがわ いえしげ)

10代将軍徳川家治(とくがわ いえはる)

11代将軍徳川家斉(とくがわ いえなり)

12代将軍徳川家慶(とくがわ いえよし)

13代将軍徳川家定(とくがわ いえさだ)

14代将軍徳川家茂(とくがわ いえもち)

15代将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)

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