西郷どん 鹿児島城下で西郷吉兵衛の長男として生まれる~戊辰戦争(幼名は小吉)

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引用:http://navicon.jp/feature/n-atsuhime/n-atsuhime_03-03.html

鹿児島城は鶴丸城とも呼ばれ、島津家当主の城として
慶長9年(1604)に完成した城である。

1827(文政10)年12月7日 鹿児島城下の下鍛冶屋町で生まれる。

父は、吉兵衛
母は、満佐

4男3女の子沢山
 隆盛(小吉)
 お琴
 吉次郎(1833(天保4)年誕生)隆盛6歳の時))
 お鷹
 お安
 従道(新吾(1843(天保14)年誕生)隆盛16歳の時))
 小兵衛(1847(弘化4)年誕生)隆盛20歳の時)

家計は極貧状態だった。
1枚の布団を兄弟姉妹で寒い時に引っ張り合って寝ていたという逸話。

西郷隆盛が所属していた『郷中組織』とは?

薩摩藩独特の制度で、5,6歳から20歳前後の若者が自主的に集団学習する制度で
学問だけでなく武士としての行動美学を体得する場だった。


1852(嘉永5)年 隆盛25歳の時、伊集院兼寛の姉「須賀」と結婚するも、2年後の1854(安政元)年と離縁。
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1853(嘉永6)年 吉之助から善兵衛へ改名する
この年、ペリーが浦賀に来航し、幕府に開国を迫る

1854(安政元)年 隆盛27歳の時、島津斉彬のお庭方に抜擢され江戸へ
私設秘書ともいえるこの処遇は例外中の例外だった。
斉彬ほどの人物が、「薩摩に西郷あり」との評判は、広く知れ渡っていった。

1856(安政2)年 隆盛29歳の時、斉彬の幼女「篤姫」の将軍家への輿入れ準備に奔走

1858(安政4)年 隆盛31歳の時、勤王僧・月照らの協力を得て、一ツ橋慶喜を支持するが、
井伊直弼が大老に就任すると情勢が一変
安政の大獄に異を唱えようとした斉彬の急死により、隆盛は絶望し、殉死を決意するが、
のちに、月照とともに入水自殺を図るが失敗。

月照
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出典:http://www.saigo-takamori.net/archives/1858

薩摩藩は、幕府の追及をかわすために、西郷に菊池源吾と変名させ奄美大島に蟄居を命じた。
1859(安政6)年 隆盛32歳の時、龍郷村の龍氏の娘・「愛加那」と結婚する。
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1861(文久元)年 隆盛34歳の時、菊次郎(のちの京都市長)を翌年に菊草を生んだ。

1862(文久2)年 隆盛35歳の時、奄美大島から鹿児島に戻るが、すぐに徳之島への遠島処分を受ける。
その後、沖永良部島への遠島処分が下り、大島吉之助と改名する。
この年、「生麦事件」が起こる。
生麦事件
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出典:http://d.hatena.ne.jp/supernil/20120527/p1

1863(文久3)年 隆盛36歳の時、前年に起こった生麦事件を契機に「薩英戦争」勃発。
薩摩藩は、英国に敗れる。
その時、隆盛は処罰覚悟で参戦した。
攘夷が不可能と判断した薩摩藩は、公武合体の切り札として、西郷を赦免召還する。

1864(元治元)年 隆盛37歳の時、薩摩藩の小納戸頭取・一代小番に任命される。
7月に幕府軍と長州勢が皇居諸門で衝突する「禁門の変」が起こる。
隆盛は、薩摩兵を指揮して、長州兵を撃退。長州藩からは「薩賊」と憎悪さらる。

1985(慶応元)年 隆盛38歳の時、岩山八郎太の次女・「イト」と結婚する。
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その年に坂本龍馬と、翌年には木戸孝允と出会い、いわゆる「薩長同盟」を結ぶ。

1987(慶応3)年 隆盛40歳の時、「薩土盟約」を成立される。
そして、徳川慶喜による大政奉還で、朝廷へ政権を返上する。

1868(明治元)年 隆盛41歳の時、京都の鳥羽、伏見で薩長土軍と旧幕府軍が衝突「戊辰戦争」勃発。
1869(明治2)年 隆盛42歳の時、「戊辰戦争」終結。

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