渋沢栄一のふるさと深谷市血洗島(ちあらいじま)の由来とは?NHK大河ドラマ『青天を衝け』原作は?大森美香

NHK大河ドラマ『青天を衝け』原作は?大森美香




深谷市血洗島(ちあらいじま)とは?

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渋沢栄一は、1840年3月16日に深谷市血洗島に生まれました
生地「血洗島」という物騒な地名ですが、
血洗島の地名の由来調べました



第一説
市の北側を流れる利根川には大きな中州がたくさん有り、当時の北条氏と上杉氏の激戦で多くの将兵の血が流された説

河越城の戦い
戦国時代に、武蔵国の枢要な城であった河越城の争奪を巡って、河越城周辺で争われた一連の戦いをいう
河越夜戦は、北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国の河越城(現在の埼玉県川越市)の付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いである


第二説
利根川が毎年氾濫し地面が荒れるので地荒れ(ちあれ)という言葉が言われるようになった説


第三説
アイヌ語の「ケシ=厚岸、ケセン=気仙沼、ケッセン」(岸、末端などの意)で血洗(この当て字が憶測のもと)という説。


渋沢栄一生誕の地である当時の血洗島村は、この深谷宿から北へ約1里半(6km)のところにあり、さらに村の北1.6kmほどの所に利根川が流れ、上州(現在の群馬県)の地に接している。この利根川には血洗島近接の地に中瀬河岸(現在の深谷市中瀬)があり、ここは江戸方面(現在の東京)へと至る、また江戸方面より来る、人や物資の中継基地として、大いに栄えた。


渋沢家のルーツは甲斐国巨摩郡渋沢村(山梨県北杜市)で、甲斐源氏の一族というがはっきりしない。戦国時代に血洗島で帰農し、その後分家を繰り返して幕末には血洗島を代表する豪農一族となっていた。

栄一の生まれた「中の家」は父の代に養蚕や藍玉つくりで家運の傾いていた同家を再興して豪農となり、農民とはいいながら商家でもあり、名主として名字帯刀も許されていた


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話は変わるが「血洗島の惨劇」という書籍をご存じだろうか?

新社長就任の役員会を間近に控えた大手塗料メーカーの専務・真行寺右京に、一通の脅迫状が届いた。差出人は右京自身!それは真行寺家を襲った惨劇の幕開けだった。ついで、末期ガンの宣告を受け引退した右京の父・総一に謎の呼び出しが。場所は深谷市血洗島―真行寺家のある田園調布を作った大実業家・渋沢栄一生誕の地だった。そして秩父路を走行中のSL車内で殺人が!現場に居合わせた朝比奈は。






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