嘉納治五郎(かのう じごろう) 柔道の父を役所広司が演じるNHK大河ドラマいだてん。東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員

柔道の父 嘉納治五郎

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いだてん 嘉納治五郎





嘉納治五郎の年表

1860年12月10日(万延元年10月28日)・・・摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治郎作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。

1870年(明治3年)・・・明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。

1874年(明治7年)・・・育英義塾(のちの育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(のちの東京大学)に進学。

1877年(明治10年)・・・東京大学に入学した。

1878年(明治11年)・・・漢学塾二松學舍(のちの二松學舍大学)の塾生となる。

1882年(明治15年)・・・下谷北稲荷町16(現・台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。

1897年(明治30年)・・・3月頃には、創部仕立ての東京専門学校(現早稲田大学)柔道部の柔道場にも指導に訪れていたという。

1905年(明治38年)・・・大日本武徳会から柔道範士号を授与される。

1882年(明治15年)・・・1月から学習院教頭。

1893年(明治26年)・・・東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)の校長ならびに東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)校長を務めた。

1887年(明治20年)・・・井上円了が開設した哲学館(東洋大学の前身)で講師となる。棚橋一郎とともに倫理学科目を担当し、同科の『哲学館講義録』を共著で執筆。

1898年(明治31年)・・・全国の旧制中学の必修科目として柔道が採用される。

1909年(明治42年)・・・東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となる。

1911年(明治44年)・・・大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)を設立してその会長となる。

1912年(大正元年)・・・日本が初参加したストックホルムオリンピックでは団長として参加した。

1924年(大正3年)・・・合気道・柔道家の富木謙治が早大柔道部で謦咳に接し影響を受ける。

1936年(昭和11年)・・・IOC総会で、1940年(昭和15年)の東京オリンピック(後に戦争の激化により返上)招致に成功した。

1938年(昭和13年)5月4日)・・・氷川丸の船内で肺炎により死去(77歳没)。

※カイロ(エジプト)でのIOC総会からの帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により死去(遺体は氷詰にして持ち帰られ、横浜港では棺にオリンピック旗をかけられて船から降ろされた)。生前の功績に対し勲一等旭日大綬章を賜る。墓所は千葉県松戸市の東京都立八柱霊園に在る。



引用:Wikipedia



<東京高師・大日本体育協会>

永井道明(ながい どうめい)演:杉本哲太・・・東京高等師範学校教授。
大森兵蔵(おおもり ひょうぞう)演:竹野内豊・・・ストックホルムオリンピック日本選手団監督。
大森安仁子(英語版)(おおもり あにこ)演:シャーロット・ケイト・フォックス・・・大森兵蔵の妻。
野口源三郎(のぐち げんざぶろう)演:永山絢斗・・・東京高等師範学校の後輩。
黒坂辛作(くろさか しんさく)演:ピエール瀧・・・「足袋のハリマヤ」店主。
可児徳(かに いさお)演:古舘寛治・・・東京高等師範学校助教授。
田島錦治(たじま きんじ)演:ベンガル・・・京都帝国大学教授。
内田定槌(うちだ さだつち)演:井上肇・・・外交官。
岸清一(きし せいいち)演:岩松了・・・第2代大日本体育協会会長。
武田千代三郎(たけだ ちよさぶろう)演:永島敏行・・・大日本体育協会副会長。




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