いだてん~「“東京”と“オリンピック”」 1912年のストックホルム大会から1964年の東京五輪まで詳細解説しました。

1912年ストックホルム大会から1964年東京五輪

1912 ストックホルム(スウェーデン)
※1916年ベルリン(第一次世界大戦により中止)
1920 アントワープ(ベルギー) 
1924 パリ(フランス)
1928 アムステルダム(オランダ)
1932 ロサンゼルス(アメリカ)
1936 ベルリン(ドイツ)
※1940年東京(戦争により中止)
※1944年ロンドン(第二次世界大戦によって中止)
1948 ロンドン(イギリス)
1952 ヘルシンキ(フィンランド)
1956 メルボルン(馬術競技以外)(オーストラリア)
1956 ストックホルム(馬術競技)(スウェーデン)
1960 ローマ(イタリア)
1964 東京(日本)



スウェーデン2.png
1912 ストックホルム(スウェーデン)
第5回オリンピック競技大会

参加国・地域数:28
参加人数:2,437人
競技種目数:15競技102種目

ハイライト
この大会で初めて日本がオリンピックに参加した。
共に陸上競技で短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三の2名が出場したが、三島は400メートルの準決勝で棄権、金栗は10000mを棄権してマラソンに出場、54年8か月6日5時間32分20秒3で世界一遅いマラソン記録を残している。

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
テニス
ボート
レスリング
セーリング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
綱引
野球
芸術

ベルギー2.png
1920 アントワープ(ベルギー)
第7回オリンピック競技大会

参加国・地域数:29
参加人数:2,607人
競技種目数:23競技152種目

ハイライト
今大会から初めて選手宣誓が行われた。
オリンピック旗が初めて掲げられた。
男子テニスの熊谷一弥と柏尾誠一郎が、日本人のスポーツ選手として史上初めてのオリンピック・メダルを獲得した。

2000px-Olympic_flag.svg.png

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
テニス
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
アーチェリー
ラグビー
ポロ
綱引
フィギュアスケート
アイスホッケー

フランス.png
1924 パリ(フランス)
第8回オリンピック競技大会

参加国・地域数:44
参加人数:2,972人
競技種目数:19競技126種目

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
テニス
ボート
ボクシング
体操
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー



オランダ.jpg
1928 アムステルダム(オランダ)
第9回オリンピック競技大会

参加国・地域数:46
参加人数:2,694人
競技種目数:16競技119種目

ハイライト
長らくクーベルタンらの反対で見送られてきた女性の陸上競技への参加が初めて認められ、女性への門戸開放という点で大きく進歩した大会であった。
上記の女子陸上選手参加解禁を受け、日本からは人見絹枝が出場し、800mで銀メダルを獲得した(日本最初の女子メダリスト)。
この女子800mではレース後に多くの参加選手が倒れ、その苛酷さを理由にして200mより長い女子陸上競技は1960年代まで実施が見送られた。
日本は織田幹雄と鶴田義行が悲願だった金メダルを獲得した。
織田の優勝は大会関係者が想定できず、他国の旗より4倍の巨大な日章旗が表彰式の国旗掲揚で使用され、君が代の吹奏も運営上準備が整っておらず「千代に八千代に」と途中から行われた。
この大会時にはまだ表彰台は用意されておらず国旗の掲揚による表彰のみで、表彰台が用意されるのは次のオリンピアードのロサンゼルス大会から。
織田によるこの時の三段跳び優勝記録、15m21cmは1964年東京オリンピックを開催した国立霞ヶ丘競技場に立てられた「織田ポール」の高さとして採用され、同競技場の解体まで存在していた。
大会で初めて聖火が使用され、大会中に継続して燃やされた。

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
近代五種競技
ラクロス競技



アメリカ.jpg
1932 ロサンゼルス(アメリカ)
第10回オリンピック競技大会

参加国・地域数:37
参加人数:1,328人
競技種目数:16競技128種目

ハイライト
初めて選手村が建設されたが、使用できたのは男子選手のみであった。
開会宣言はチャールズ・カーティス。選手宣誓はジョージ・カルナン。
平沼亮三が日本選手団長を務めた。
陸上競技で初めて写真判定装置が用いられた。
全ての計時を一社が担当する事になり、委託されたオメガはヌーシャテル天文台で検定された30個のクロノグラフを用意した。
ホッケー競技に参加した国は、開催国のアメリカ合衆国およびインド、日本の3ヶ国にとどまったため、3ヶ国でリーグ戦を行いインド、日本、アメリカの順でメダルが決定した。
五輪三大会連続出場のエース、フィンランドのパーヴォ・ヌルミはアマチュア規定に抵触のため、参加が認められなかった事でも知られる。
男子競泳は、日本勢が400メートル自由形をのぞく5種目を制した。

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
アメリカンフットボール
ラクロス



ドイツ.png
1936 ベルリン(ドイツ)
第11回オリンピック競技大会

参加国・地域数:49
参加人数:4,066人(男子3,738人、女子328人)
競技種目数:21競技129種目

<実施競技>
カヌー、バスケットボール、ハンドボールが初めて正式種目となった。
特にハンドボールはヒトラーの特別要求によって実施されることとなった。

陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
バスケットボール
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
ハンドボール
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー
ポロ
芸術競技

<公開競技>
野球
グライダー


イギリス.jpg
1948 ロンドン(イギリス)
第14回オリンピック競技大会

参加国・地域数:59
参加人数:4,064人
競技種目数:19競技151種目

ハイライト
第二次世界大戦の敗戦国であるドイツや日本の選手団が不承認となり、参加を認められなかった。
日本は1938年に東京オリンピックの開催を返上、ドイツは1939年にポーランドに侵攻して第二次世界大戦を起こしたことで、代替となるヘルシンキでのオリンピック開催を事実上不可能にしたことから、両国への非承認はそれらに対する懲罰的な意味合いも大きかったとされている。
なお、第二次世界大戦中に政権交代していたイタリアの参加は認められた。

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
バスケットボール
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー
ラクロス


フィンランド.png
1952 ヘルシンキ(フィンランド)
第15回オリンピック競技大会

参加国・地域数:69
参加人数:5,429人
競技種目数:18競技149種目

ハイライト
ヘルシンキでの五輪は本来、1940年に東京で予定されていたものが日中戦争激化を理由に開催中止となり、その代替として繰り上げ開催される予定になっていた。
しかし、その後の第二次世界大戦の勃発により開催は返上され、12年後の今回が初開催となった。
日本が第二次世界大戦後初(16年ぶり)の夏季オリンピックの参加となった。


<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
バスケットボール
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー
野球


オーストラリア1.png
1956 メルボルン(馬術競技以外)(オーストラリア)

スウェーデン2.png
1956 ストックホルム(馬術競技)(スウェーデン)

第16回オリンピック競技大会

参加国・地域数:67
参加人数:3,178人
競技種目数:17競技145種目

ハイライト
夏季オリンピック史上初めて南半球で行われた。
また、メルボルンの緯度が高いこともあって結果的に北半球が冬になってからの開催となった(このため、夏季オリンピックでは開会・閉会ともに一番遅い時期に行われた大会である)。
3つの国際情勢によりボイコットをする国々が相次いだ。ひとつは、イギリスとフランスが関与したスエズ動乱に抗議しエジプト、レバノン、イラクが不参加、2つ目はソ連によるハンガリー侵攻に抗議しスペイン、オランダ、スイスが不参加となった。

<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
バスケットボール
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー
野球
オージーフットボール


イタリア.jpg
1960 ローマ(イタリア)
第17回オリンピック競技大会

参加国・地域数:83
参加人数:5,348人(男子4,738人、女子610人)
競技種目数:18競技150種目

ハイライト
ソ連が1952年のヘルシンキオリンピック以来3度目の参加で、初めてアメリカを抜いて金メダル獲得数で首位に立った。
以後、2つの超大国はスポーツでも競争を激化させていった。
日本は次回1964年東京オリンピックの開催国として強化の途上にあったが、前回の1956年メルボルンオリンピックと並ぶ金4個になり、総数では18個(金4、銀7、銅7)と前回を1個下回った。
男子体操では団体5連覇のスタートとなり、小野が2大会連続の金メダル獲得と活躍したが、前回金を獲得した競泳やレスリングで逃し、躍進にはもう一歩で終わった。


<実施競技>
陸上競技
競泳
飛込
水球
サッカー
ボート
ホッケー
ボクシング
体操
バスケットボール
レスリング
セーリング
ウエイトリフティング
自転車
馬術
フェンシング
射撃
近代五種競技
カヌー


日本.jpg
1964 東京(日本)
第18回オリンピック競技大会

参加国・地域数:93
参加人数:5,133人(男子4,450人、女子683人)
競技種目数:20競技163種目


開会宣言:昭和天皇
選手宣誓:小野喬
最終聖火ランナー:坂井義則
主競技場:国立霞ヶ丘陸上競技場





大会開催までの経緯

1940年(昭和15年)夏季大会の開催権を返上した東京は、連合国軍による占領を脱した2年後の1954年(昭和29年)に1960年(昭和35年)夏季大会開催地に立候補した。
しかし、翌1955年(昭和30年)の第50次IOC総会における投票でローマに敗れた。
次に1964年(昭和39年)夏季大会開催地に立候補し、1959年(昭和34年)5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催された第55次IOC総会において欧米の3都市を破り開催地に選出された。
得票数は東京が半数を超える34票、アメリカ合衆国のデトロイトが10票、オーストリアのウィーンが9票、ベルギーのブリュッセルが5票だった。
特に、総会での立候補趣意演説を行なった平沢和重(外交官)や、中南米諸国の支持を集めるために奔走した日系アメリカ人の実業家、フレッド・イサム・ワダ(和田勇)、当時都議であった北島義彦、「日本レスリングの父」といわれた八田一朗らの功績が大きかった。
なお、和田は育った御坊市で名誉市民第1号となっている。
1957年(昭和32年)当時、日本水泳連盟会長を務めていた田畑政治は、オリンピック招致費用を2013年現在の価格に換算して1200億円掛かる事を懸念していた岸信介首相に、観光収入も見込めると直談判した。

開催の決定した日本では「東京オリンピック組織委員会」が組織され、国家予算として国立競技場をはじめとした施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した国家プロジェクトとなった。
開催にあたり、組織委員会は巨大な東京オリンピック公式ポスターを都市部に設置、デザインは亀倉雄策が手掛けた。
1963年2月7日に、体調不良で大会組織委員会会長を辞任した津島寿一の辞任後、4か月間空席だった大会組織委員会会長に安川第五郎が決まった。






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