西郷どん(せごどん)西郷隆盛の最初の妻 伊集院須賀って?

西郷隆盛の最初の妻 伊集院須賀

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出典:http://konn3563.seesaa.net/category/4380756-1.html

生没年不明
薩摩藩士・伊集院兼善(かねよし)の娘


西郷どんとの結婚
嘉永5年(1852)月日不詳
西郷(吉之介)と結婚。西郷どん24歳、須賀21歳くらい。

結婚生活はわずか2年ほどであった。
江戸の西郷と伊集院家が話し合い円満離婚となった

伊集院 須賀は、薩摩藩士西郷隆盛の最初の妻
父は薩摩藩士伊集院兼善
薩摩の有力豪族伊集院氏の分家の一つと思われるが、
兼善以前の系譜は不明である
実弟に伊集院兼寛がいる。


伊集院兼寛という人物

幕末維新期
伊集院兼寛は天保9年(1838年)薩摩藩士伊集院直五郎兼善の嫡男として生まれる
幕末維新期の兼寛は西郷隆盛・西郷従道兄弟や大久保利通らとの関係が深く
薩摩藩きっての行動派の一人として活躍する
文久2年(1862年)の寺田屋騒動に有馬新七の同志として討幕計画に参加するも
藩主命令により帰順する。謹慎処分を受ける
文久3年(1863年)の禁門の変では斥候として参加
藩主より功賜金を賜る。同年の薩英戦争では決死隊の一員に加わる。
戊辰戦争では東山道総督府参謀に任ぜられ各地を転戦する
明治以降
明治4年(1871年)大蔵省に出仕。明治初期の会計制度の整備に尽力
同6年(1873年)海軍省に入省。翌年11月5日に海軍少将兼海軍少輔に昇進
台湾出兵の事務処理を手がける
同10年の西南戦争では四国方面の情勢探索活動に従事
同11年(1878年)元老院議官に就任。同20年(1887年)子爵を授けられ華族に列する
同23年(1890年)帝国議会創設により貴族院議員に就任し、同30年まで務める
1890年10月20日、錦鶏間祗候となる
明治31年(1898年)4月16日勲一等瑞宝章を授与される。その4日後の4月20日死去



この記事へのコメント

  • ゆき

    写真、「伊集院須賀」とありますが、この画像はイトさんの晩年のもの。元のサイトに誤りがあるようです。よく調べてあるようにも思われますが、出典元に問題があるにしても間違いは訂正していただいた方がよろしいかと思われます。参考までに、2015年3月に出版された「西郷の妻 ー西郷隆盛と妻イトの生涯ー」をご覧いただければわかります。
    2017年03月15日 13:48
  • 伊集院忠棟

    伊集院須賀夫人は誰もが振り向くほどの美しいご令嬢、美女でしたよ。
    西郷隆盛が伊集院須賀夫人に一目惚れをして口説きまくり結婚に漕ぎ着けたと文献に記載してある。

    豊臣秀吉から10万石拝領された秀吉の家臣の伊集院忠棟などの史料から、実在した伊集院家をモデルとして、漫画「はいからさんが通る」はで伊集院家は大金持ちの美人、ハンサムのキャラで登場し、それが定着してゆく。

    関ヶ原直前に勃発した伊集院の乱、「庄内の乱」が原因で、徳川家康軍を敵中突破した鬼島津こと島津義弘は少勢で関ヶ原に参戦することになった。
    「庄内の乱」は徳川家康が二度調停し、島津家と伊集院家は和睦するが、その後、伊集院家は島津家に皆殺しにされ、島津義弘の孫が伊集院姓を名乗り伊集院家は復活する。

    伊集院須賀夫人は島津義弘の子孫の可能性が高い。



    2017年03月22日 15:13

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