美濃部孝蔵(みのべ こうぞう) 若き日の古今亭志ん生を森山未來が演じるNHK大河ドラマいだてん。落語の神様とよばれた男

若き日の古今亭志ん生 美濃部孝蔵


古今亭 志ん生.JPG


五代目古今亭志ん生 - 風呂敷





美濃部孝蔵の年表


出生
1890年(明治23年)、東京市神田区神田亀住町(現・東京都千代田区外神田)の生まれ。
父・美濃部戍行(みのべもりゆき)、母・志う(しう)の五男。

落語との出会い
1910年(明治43年)頃、2代目三遊亭小圓朝に入門し、三遊亭朝太との前座名を名乗る。
1918年(大正7年)、4代目古今亭志ん生門に移籍し、金原亭馬太郎に改名。
その後、1921年(大正10年)9月に金原亭馬きんを名乗り、真打に昇進する。

結婚
1922年(大正11年)11月、清水りんと結婚。
1924年(大正13年)1月12日に長女・美津子、1925年(大正14年)10月7日に次女・喜美子(後の三味線豊太郎)
1928年(昭和3年)1月5日に長男・清(後の10代目金原亭馬生)が誕生。
笹塚から夜逃げして本所区業平橋のいわゆる「なめくじ長屋」に引っ越したのはこの年である。
なお、この間に(1924年・大正13年)3代目古今亭志ん馬を名乗っている。

馬生・志ん生襲名
1932年(昭和7年)、再び3代目古今亭志ん馬を名乗る。
落語界入りしてから長らく売り出せず苦労した5代目志ん生だが、この頃になってようやく少しずつ売れ始める。
1934年(昭和9年) 9月に7代目金原亭馬生を襲名。
1938年(昭和13年)3月10日、次男・強次(後の3代目古今亭志ん朝)が生まれる。
1939年(昭和14年)に5代目古今亭志ん生襲名。朝太から志ん生襲名まで16回改名した。
1941年(昭和16年)、神田花月で月例の独演会を開始。
客が大勢詰めかけるほど好評だったが、この頃の5代目志ん生の客は噺をじっくり聞いてくれるような良い客ではなかったという。

会長就任
1957年(昭和32年)、8代目文楽の後任で落語協会4代目会長に就任。
1963年(昭和38年)まで会長を務める。

倒れる
1961年(昭和36年)暮れ、読売巨人軍優勝祝賀会の余興に呼ばれるが、口演中に脳出血で倒れる。
3か月の昏睡状態の後に復帰するも、その後の高座からは以前の破天荒ともいうべき芸風が影を潜めた。

事実上の高座引退
1968年(昭和43年)、上野鈴本演芸場初席に出演。
1971年(昭和46年)12月9日、妻・りん逝去。
1973年(昭和48年)9月21日、自宅で逝去。享年83。




引用:Wikipedia


美濃部孝蔵とは?~森山未來演じる~

[1890~1973]落語家。5世。東京の生まれ。本名、美濃部孝蔵。
天衣無縫・八方破れといわれる芸風と生活で、昭和の落語を代表する存在になった。
得意の演目は「火焔(かえん)太鼓」「文七元結(ぶんしちもっとい)」など。

落語家。初代〔1809-1856〕は幕末の人情噺(ばなし)の名手。
《お富与三郎》《小猿七之助》などを得意とした。4代〔1877-1926〕も明治〜大正に渋い芸をうたわれた。
5代〔1890-1973〕は本名美濃部孝蔵。
名人橘家円喬に入門して後,小円朝,4代志ん生,三語楼などにつき,また一時は講談師にもなったり,改名も16回に及んだが,この間に奔放自在の芸をみがき上げた。得意は《火焔(かえん)太鼓》《文七元結》など。



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