徳川家康の父母・妻・子供・墓の評価-徳川15代家系図

初代将軍徳川家康(とくがわ いえやす)の評価-徳川15代家系図


初代将軍徳川家康(とくがわ いえやす).JPG

初代将軍徳川家康(とくがわ いえやす)

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川家康)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名
江戸幕府の初代征夷大将軍。
三英傑の一人。
「海道一の弓取り」の異名を持つ。

家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。
通称は次郎三郎のちに蔵人佐。
諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。

勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。
本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。


生年月日: 1543年1月31日
生まれ: 愛知県 岡崎市
死亡: 1616年6月1日, 静岡県 静岡市
埋葬: 静岡県 静岡市 久能山東照宮
配偶者: 朝日姫 (1586年 - 1590年)、 築山殿 (1557年 - 1579年)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



徳川家康の父母

父:松平広忠(まつだいら ひろただ)
  松平 広忠は、戦国時代の武将。三河国額田郡岡崎城主。
  松平宗家8代当主。松平清康の子。母は青木氏の娘。徳川家康の父。

母:於大の方(おだいのかた)
  松平広忠の正室で、徳川家康の母。
  晩年は伝通院と称した。



徳川家康の子供

長男・松平信康(母:築山殿)
次男・結城秀康(母:小督局)
三男・徳川秀忠(母:西郷局)・・・徳川2代将軍へ
四男・松平忠吉(母:西郷局)
五男・武田信吉(母:お津摩)
六男・松平忠輝(母:茶阿局)
七男・松平松千代(母:茶阿局)
八男・平岩仙千代(母:お亀)
九男・徳川義直(母:お亀)
十男・徳川頼宣(母:お万)
十一男・徳川頼房(母:お万)

長女・亀姫(母:築山殿) - 奥平信昌室
次女・督姫(母:西郡局) - 北条氏直室のちに池田輝政室
三女・振姫(母:お竹) - 蒲生秀行・浅野長晟室
四女・松姫(母:お梶)
五女・市姫(母:お梶)

となっており、全部で16人です



徳川秀忠(ひでただ、1579-1632年)
家康の三男で母はお愛の方。天正18年(1590年)に元服して織田信雄の長女と婚約し、同年の小田原征伐のときに初陣を果たすが、翌年には婚約者と死別。のちの文禄4年(1595年)に浅井三姉妹の三女・お江と再婚する。

慶長5年(1600年)の関ヶ原では真田昌幸との戦いで翻弄され、決戦に間に合わずに家康に叱責された。しかし、同年には家康が重臣らを集めて後継者決めを相談し、このとき既に後継者は秀忠に決定したといい、慶長10年(1605年)に将軍職を譲られて2代目将軍となった。

大坂の陣(1614-15年)で総大将を務めて豊臣家を滅ぼした後は、「禁中並公家諸法度」や「武家諸法度(元和令)」などの法令を制定した。家康死後は将軍親政を開始し、大名統制を強化して多くの外様大名を改易するなどしている。嫡男・家光に将軍職を譲った後も大御所として二元政治を行い、紫衣事件(1629年)では朝廷・寺社に対する統制を徹底し、武家政権の基礎を確立させた。


徳川家康 妻・子供


正室:築山殿
継室:朝日姫
側室:養珠院、西郷局、茶阿局、英勝院、雲光院、相応院、ほか


松平信康、亀姫、結城秀康、永見貞愛、督姫、秀忠、松平忠吉、振姫、武田信吉、松平忠輝、義直、頼宣、頼房、ほか


徳川家康 墓

静岡県 静岡市 久能山東照宮

東照宮.jpg









15代将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)

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初代将軍徳川家康(とくがわ いえやす)

2代将軍徳川秀忠(とくがわ ひでただ)

3代将軍徳川家光(とくがわ いえみつ)

4代将軍徳川家綱(とくがわ いえつな)

5代将軍徳川綱吉(とくがわ つなよし)

6代将軍徳川家宣(とくがわ いえのぶ)

7代将軍徳川家継(とくがわ いえつぐ)

8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね)

9代将軍徳川家重(とくがわ いえしげ)

10代将軍徳川家治(とくがわ いえはる)

11代将軍徳川家斉(とくがわ いえなり)

12代将軍徳川家慶(とくがわ いえよし)

13代将軍徳川家定(とくがわ いえさだ)

14代将軍徳川家茂(とくがわ いえもち)

15代将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)

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